スポンサードリンク

遺品

635: 修羅場ステーション 2011/02/13(日) 17:50:52 0
同窓会があって久しぶりにエネミー夫と顔を合わせてしまったよ。
元トメは嫁の物は自分の物がポリシーの人だった。
私の親が亡くなって私が実家を相続したんだけど、その家に「後片付けを手伝う」と言って無理矢理押しかけて来た。
初七日過ぎても一向に帰ろうとしないから元夫に言うと
「母さんは親切でしてあげてるだけだって」
と言うばかりで動かない。
一応そろそろ帰るように言っておくとは言ってくれてたので少し我慢することにした。

ひと段落して押入れとかチェックすると友禅とかがごっそり無くなってた。
あわてて家探しするといろんな遺品が無くなってた。
夫に言って一緒に探してもらうも全然見つからない。
「お前の両親が亡くなる前に処分したんじゃないの?」
と言われたが釈然としないものが残った。
とりあえず無くなったものとあるものをチェックして一覧にしておいた。
そうこうするうちに どんどん元トメの荷物が増えてきた。
文句を言っても「かあさんだって屋根裏とか掃除してくれてるんだから」と言ってのらりくらり。



スポンサードリンク

546: 修羅場ステーション 2017/11/17(金) 18:28:22.70 0
「義実家への」ではなく相手は義姉だけなのでもしスレ違いならごめん。そして長くてごめん。
長いと言われたので分けます。
(1/2)
当時の義姉は38歳で20年くらい外に出ていないらしい究極のひきこもりだった。
ウトさんは、わたしと旦那が出会う前に亡くなっている。
トメさんに「義姉がこんなんだから、私のことは気にせずにあまりウチには来ない方がいいよ」と言われてたんだけど
「来るな」じゃなかったし、結婚前から旦那抜きで2人で遊びに行ったりしててトメさん大好きなわたしは月1~2くらいで旦那と会いに行ってた。
そんなある日、いつも通り遊びに行くと、義姉がギャーギャー言ってるのが聞こえて慌てて家に入った。
そこではじめて義姉のトメさんへの暴力暴言を見てしまった。
「はやくメシ作れよクソババァ」だの「課金するから金よこせ」だの、それはもう聞くに堪えない言葉ばかりだった。
旦那が義姉を止めて、わたしはトメさんを救出。
この日この時までトメさんが義姉にこんな酷い事をされてるなんて知らなくて、呑気に遊びに誘ったりしていた自分を責めた。
あとから聞いた話だと、旦那が就職とともに家を出た頃から暴言などが始まったらしく、
「息子(旦那)に知られると嫁子ちゃんにも知られて結婚の話がなくなるかもしれない」
「こうなったのは自分の責任で、自分が我慢すればいい話」と思って今まで旦那にも言えずにいたそう。
こんなやりたい放題の義姉と一緒いたら、いつかトメさんが死んでしまうと思って、
旦那が義姉を義姉の部屋(2階)へ連れて行って説教している間に、わたしが勝手にトメさんを家に連れて帰った。

スポンサードリンク

576 : 名無しさん@HOME 2008/04/30(水) 23:08:41
閑話休題、今日トメにやってきたDQN返し。 
パートに行く前に我が家に必ず寄り、あら探しをしていく近距離トメ。 
私の母の遺品である真珠のネックレスがあったのだが、勝手に 
箪笥を開けて発見、「素敵素敵」と繰り返してきた。無言で取り上げて 
再度箪笥にしまった。「勝手に箪笥開けないでください」と言い添えて。
スポンサードリンク

700 : 名無しの心子知らず 2012/08/16(木) 12:36:17 ID:mXYA3BhM
この時期になると思い出す、泥ママとそのキチ旦那。 
酔っぱらったおっさんが携帯からプチプチしてるから読みにくいのは勘弁 

ウチは俺と娘の父子家庭。嫁は娘が年長になったとき、車にひかれて旅だった。 
職場の理解、実家、義実家、義姉家族、の協力でここまで生活してこれた。 
そんな父子家庭。 

嫁の葬式やらが終わって、娘が幼稚園にまた行きだしたころ 
勝手のわからない俺のために嫁のママ友達が助けてくれた時期があった。
スポンサードリンク

496 : 名無しさん@おーぷん 2015/03/20(金)13:50:43 ID:4lX
せっかくなので私も中学時代の修羅場を吐き出し。一応フェイク有。

私の父親は精神的な病気を患ってた。昔事故に遭って頭を打って、その時の影響でちょっと変になったらしい。
酒は飲まないタバコも吸わない、普段はまともでよく笑う人だった。
だけど感情のブレーキが利かなくて、一度キレると手が付けられない。我慢するとか他人に譲るって事ができなくて、自分の思い通りにならない事が許せない。そんな病気だからどんな仕事も長続きしなくて年がら年中家にいた。
両親+父方祖父で四人暮らし(祖父母はかなり前に離婚してる)だったんだけど、父がそんなんだから母も色々限界が来てたらしい。私が小学校を卒業するのを待ってさっくり離婚して、私は母についていった。
離婚してからもしょっちゅう私のところには電話がかかってきたし、月に一度ぐらいのペースで私だけ父のところにいって一晩泊まる、ぐらいの交流はあった。母は自分が父と顔合わせると父の機嫌が損ねられるとわかってたから、絶対に行かなかったけど。
スポンサードリンク

このページのトップヘ