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393: 修羅場ステーション 2018/11/11(日)10:12:50 ID:6WI
うちの実家は貧乏だったので大学に行く費用など出してもらえるとは思ってなかった。
かと言って奨学金を借りて~と言うのはどうにも抵抗があって
高卒で就職したあと、そこそこ貯金が出来た頃に
仕事をしながら夜間の法律専門学校に通って司法書士の資格を取得した。
そしてそこで知り合った今の夫と、互いに資格が取れたところで結婚。
結婚は30を過ぎていたけど、事務所で働きながら子供も一人産んだ。
40を過ぎてから、夫と一緒に事務所を設立。
それまで勤めていた事務所の後押しもあり、最初は下請けみたいなものだったけど
徐々に顧客も増えてどうにか軌道に乗った。
自分で言うのもなんだけど、私なりに努力して得た人生だと思っている。
が、昔から節目節目で母親から言われたのは「おまえは要領がいい」「おまえは運がいい」。
私には2つ下の妹がいるのだが、勉強好きでもないのにキャンパスライフへのあこがれで
奨学金を借りて進学したのに、バイトと遊びに精を出した挙句できちゃった結婚で中退。
収入もないのに奨学金の返済を迫られ、旦那には浮気されて逃げられ出戻り。
そんな妹のことを母親は「孫を連れて出戻ってくる娘が一番親孝行」などと言い
その一方で「おまえは稼いでるんだから、妹の為に返済してやれ」と言われ断ると
「おまえは娘として可愛げがない」と言う。
そんな実家が昔から居心地いいわけもなく、結婚してからも滅多に帰省はしなかった。
夫も私の実家には嫌悪感をもっている。
そして昨年母が、今年に入って父が、立て続けに他界した。
母は生命保険に入っていなかったし相続するようなものは何もなかった。
父も遺産らしい遺産は何もなく、死亡保険の受取人は妹になってた。
まぁ妹の将来を心配したのだろう。
妹は1500万受け取って浮かれてたけど、かえってスッキリした。
私のことを母親と一緒にずっと馬鹿にしてきた妹には
「もう帰ってくることもない。法事の案内とかも要らない」
と絶縁宣言した。
人として最低だと言う人もいるかも知れないけど
親が死んで一滴たりとも涙は出なかった。むしろホッとしたというのが本音。



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360: 修羅場ステーション 2018/11/09(金)09:12:37 ID:gBI
昨晩の夢に、何年か前に亡くなった父親が出てきた。
ニコニコと笑って立っていた父親を見て、私は泣いて過去の出来事を詫た。

父親が余命宣告がされた後、父親が定年を迎えたらやりたいと言っていたことを一通りさせてあげようということになった。
その時、父親がいつだったか一度見てみたいと言っていた、地元チームの試合を観に行った。
折角見るならば良い席が良いと思い、若かった私はボーナスを使って一番良い指定席を取った。
当日、その席に行くと周囲はチームカラー一色に染まっており、普通の服で行った私達はなんとも場違いだった。
試合が白熱するにするにつれて、周りは相手チームにブーイングして集中力を妨害したり、点が決まると立ち上がって雄叫びを上げ始めた。

この時、初めて指定席は見やすい席でもあり、熱狂的なファンがそれだけの金額を出しても応援しにくる席であることを痛感した。
「熱気がすごいね~」なんて呑気に話していると、斜め後ろの席の人から「もっと真剣に応援しろよ!」「ファンでもないくにこんな席にいるな!」
「お前らのせいで本当は座りたいけど、座れないやつがいるんだぞ!」と罵られた。
その人がおもむろに始めた帰れコールが、私たちの周りの席に広がる。ほんの一部の席でのことだから、ほとんどの人は気づかなかったと思う。
みんながテンションが上り過ぎているのか、諌める人は誰もおらず、父親が「良いよ、帰ろう」と立ち上がって私の手を引いた。
私も立つと、勝ったと言わんばかりにわあっと歓声が上がった。
本当につらかった。
何十年ぶりに父親と手を繋いだ出来事がこれで、悲しくて悔しくて泣いた。
良い年した大人が人目も気にせず、子供みたいに嗚咽をこぼしながら泣いた。
父親は励ますように「いい試合だったな、結果は夕方のニュースで見ような」と言った。

それが私が個人的に父親に出来たことへの最期の出来事だった。
あとは家族旅行に行ったり、家族単位では色々したが、私ができたのはこれが最期だった。
夢の中で詫たが、父親にニコニコしているだけだった。
父親は許してくれているだろうか。



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466: 修羅場ステーション 2018/11/08(木)15:50:13 ID:fY2
当方、50代の家庭持ち。
自分の実家から車で20分程度の所に住んでいる。
先月の末、実家の父が亡くなった。
母は3年前に他界して一人暮らしだった。

葬式などが終わった翌日、事務処理や家の遺品整理でバタバタしているところにAが実家を訪ねて来た。
Aは、まだ自分が独身の20代の頃からの友達だった人で、歳は自分より3つ上、独身で父親とアパートに二人暮らし。
実家の近所に住んでいる事もあってお互いの家を行き来したり一緒に旅行にも行ったりして結構仲が良かった。
付き合いの年月が流れAに対して「あれっ?」って思う様な事が多々重なり、それがだんだん蓄積されて行って、決定的な事があってCOした。
それが3年前で、それ以降一度も会ってないし携帯のメールや電話、家の電話全ての連絡ツールはブロック済み。



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191: 修羅場ステーション 2018/11/03(土)21:46:46 ID:5Dp
長くなってしまった。
中学の時に病気になった。母親も同じ病気なので恐らく遺伝で確定。
母も父も遺伝することを知っていたから「遺伝する可能性があると知っていたならなんで産んだの?」と何度か思った。それは絶対言ってはいけないってわかってたから口には出さなかった。
でも朝薬飲み忘れそうになったとき母親に「薬飲まないと良くならないよ」って言われて、猛烈に腹が立ってしまって言ってしまった。
ちゃんと覚えてないけど誰のせいだ!なんで産んだんだ!ってたぶんそんな内容。今まで見たことないような顔をしたから、罪悪感沸いて、逃げるように学校へ行った。
謝ろうって思ったんだけど、家に帰ったら普通に接してくる母を見て言い出せなかった。めちゃくちゃ普通で戸惑ったのを覚えてる。
ご飯食べたあと部屋にいると父が入ってきて、ママに聞いたけどこんなこと言ったの?って聞いてきた。怒られるんだと思ったけど、全く怒らず話し始めた。
ママは結婚する前に子供を産むのは怖いって言ってたんだよ。私の悪いところが(生理なんかもかなり重かったらしい)遺伝したらどうしよう、おんなのこだったらどうしよう。
そんなママに産んで欲しいって言ったのは俺だ。もし子供に遺伝しても、ママがいい友達に恵まれて支えられてきたように、子供もそんな友達に恵まれる。俺みたいな、大事にしてくれる彼氏もきっと現れる。(ただの惚気だった)だから安心して欲しい。
そう言ったのは俺だから俺を責めてくれってそう言ってちょっと泣き出した。母じゃなくてお前が泣くんかいと反抗期終わりかけくらいの私は思ったけど。
母の心配に対して父の答えは若干おかしい気もするけど(結局私は遺伝してしんどい思いしてるし)何やかんや決心したらしく結婚して妊娠、私を産んだらしい。
確かに友人にはめちゃくちゃ恵まれた。彼氏はいない…
未だにごめんなさいは言えてないけど、この前の私の誕生日に産んでくれてありがとうって言えた



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128: 修羅場ステーション 2018/11/02(金)00:26:18 ID:Pn6
綺麗なオチもないし、きっと他人から見るとくだらないことで…と思われるかもしれないけれど、
とにかくなんだか誰かに聞いてほしい気分になってしまったのでお目汚しとは思いますがお付き合いください。?

両親は私が小学生の頃離婚して、私は父に引き取られた。
母はとにかく私が怪我、体調不良になると怒った。怒り狂ったと言ってもいいと思う。
頭がガンガンすると言えば「なんでそんなワケわかんないこと言うの」
打った場所がじんじんすると言えば「そんなワケ無いだろ、嘘を言うな」
旅行でロープウェイに乗った時に耳がキーンとする、と言ったときも「なんでこの子は人前でデタラメ言って」
って怒鳴られて1人で帰っていった。
小学4年生のときに父が離婚を決意し、親権も母はいらないといい争うことなく父に引き取られた。
?
月日は流れ私が婚約をしたとき、一応母にも報告だけは、と母の実家に電話したら祖母が出た。
母は自分の両親とも仲があまり良くないようで、離婚直後は身を寄せていたがすぐに出ていっていた。
祖母は母の連絡先は知っていたが、あまり連絡を取り合っていないらしい。
しかし祖母は両親が離婚してからはもちろん、結婚していたときも母が嫌がって滅多に会うことがなかったのに会いたい、
祝いたいと言ってくれて、あちらの近所の店で会うことになった。
?
大きくなったね、会えなくてゴメンね、図々しいと思うがたった1人の孫なので祝わせてほしいと言ってくれて、嬉しくて泣いてしまった。
そのときに母の話になり、私はまだ小さく母が私の何に怒っていたのかわからなかった、母は何に怒っていたのか、
何を直せばよかったのか、と尋ねた。
祖母はそんな事気にしては駄目、と言ってくれたが、今後子供ができたときに、母と同じ事をしないようにしたい、
と説明したら話してくれた。といっても祖母もわからないと言う。
母は昔から癇癪持ちで、はたから見るとどうして、としか思えないようなタイミングで怒鳴り散らしていたらしい。
離婚直後は?
「あの子(私)はワケわからないことばかりだった、バカにしてたんだ」
「頭が足りない、いらない」
「一言ですむことをグチグチいやらしい」
と母は祖母に言っていて、祖母はそのたびに子供がそんな事考えない、いやらしく捉えているのはアナタ(母)だ、
と言ってくれたらしいが、結局出ていってからはほとんど連絡も取れないらしい。
その日は母への連絡は少し考えさせてほしいと言われたが、祖母だけでもぜひ両家の食事会に来てほしいと伝えて帰った。



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869: 修羅場ステーション 2018/10/26(金)19:36:32 ID:bmk
私ブスなのよ
小さい頃に母が亡くなって、私が小学生になるあたりで父が再婚した
「カズコ(仮)だからカーちゃんって呼んでね」と言われた気がする
このカーちゃんが厳しかった
礼儀作法から食べ方から何から何まで叱られた
家事はしてくれるけど母だとは思っていなかったから反発して激しく喧嘩もした



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617: 修羅場ステーション 2018/10/16(火)11:29:14 ID:AiB
会ったこともない異母弟から結婚式の招待状が来たこと
父は私が幼稚園児の時、浮気相手を妊娠させて離婚
養育費とか私との面会とか色々打ち合わせたのに、再婚直後に父は引越し+転職で行方不明
面会権を強硬に主張したのは父だったらしいのに(今思えば再婚相手にうるさく言われたのかなーと思う)
父方祖父母は父に怒って縁を切るとか言ってたけど、やっぱりわが子が可愛いし孫も生まれたしでほだされたっぽい
父方祖父母が父と交流再開したあたりで、私と母は父方祖父母と疎遠になった
それから二十年以上たって
父方祖父母を介して異母弟から結婚式の招待状が届いた
父と再婚相手の三番目の子供らしいけど名前も顔も知らないし、存在自体知らなかった
なぜ私を招待しようと思ったのか意図がわからなくて不気味
父方祖父母は「出席できる親類が少ないから」って言うけど、こっちは親類のつもりないし…
断ったら二通目の招待状が届いて草
なんでそんなにしつこいんだ、行かないっての



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427: 修羅場ステーション 2018/10/13(土)10:13:17 ID:0ib
ここ数年癌で闘病中の父が、いよいよ次の正月までは持たないかもと言われている。
付き合い初めて半年の彼女がいるんだが、その彼女にも父が闘病中だと言うことは話してあったし
半月程前には現在の状況を話した。
と言うのも、彼女から結婚を匂わせるような発言がちょいちょい出てくるようになって
例えば「○○ってガーデンウエディングが出来るんだって」とか
「この間友達にレモンイエローのドレスが似合いそうだねって言われたの」とか
「友達が○○の婚約指輪貰ったんだって。私もあそこ憧れてたんだよねぇ」とかそういう話が増えたから。
まぁ今は無理って言えばいいんだろうけど、はっきり結婚したいとか言われたわけでもないから
そう言うのは失礼なのかなとか思って、現況を話したんだ。遠回りに「今は難しい」ってつもりで。
今思えば彼女ももう29歳だし、多少焦ってたのかなってのも思うけど
付き合って半年ぐらいでまだ結婚とか実感なかったし。

そしたら一ヶ月ぐらい前に「身内が死んだら一年は喪に服してお祝いごととか無理なのかなぁ」って
喫茶店でお茶してる時に何気ないふうに言われて、思わず「なにそれ、親父のこと言ってるの?」と言った。
正直彼女の言葉に時期が時期だけにカチンときたから、ちょっとキツイ言い方になったと思う。
そしたらビックリしたように必死で謝ってきてその話は終わった。
そして先週のことだが、父が一時危篤になった。
彼女とのデート中に連絡があって、急遽病院に向かったので彼女もそのことは分かってるはず。
で、夜に「お父さんどうだった?」ってメールが来て
「どうにか持ち直したけど、覚悟しとかなきゃいけないかもなー」って返信したら
「そっか。ところでクリスマスどうする?いい所は早く予約しないとね」って。
なんかもう面倒臭くなった。彼女との付き合いが。いちいちイラっとする。
その場で電話して別れ話したんだが、親離れしろよ!って言われたw
こんな場合でも親離れできてないってなるのか。
そう思うならそれでもいいが、人の心に無神経なやつよりずっといいと思いたい。



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965: 修羅場ステーション 2018/04/08(日)00:51:12 ID:hx9
相手が死んで、復讐のような何かが終わったので。


俺が中学入りたての頃、父が死んだ。
死因は交通事故。
前日まで旅行の計画を嬉々として立ててるような元気さだったから、余りに急な事で訳が分からなかった。

俺も母も殆ど茫然自失で、まともに物事を考えられる状態じゃなかった。
そこに現れたのが叔母。


父の妹で、家は隣町、父との仲も良好。
普段は人当りも良くて俺も可愛がってもらった記憶がある。

でも、父の死の直後、叔母がやった事は俺と母から遺産をむしり取る事だった。
友人らしい何人ものおばさんと一緒に俺達を逃がさないように囲んで、それはもう口汚く罵った。

「以前から兄さん(俺の父)に対するあなたの振る舞いは目に余る物があった」と母をなじり、
「兄さんの息子とは思えないぐらい成績が悪い」と俺を見下した。
「あなた達みたいな人間が兄さんの遺産を受け取るなんて恥ずかしくないの?」とも。

そうして詰め寄られるまま、判断能力を著しく欠いた俺と母は結局遺産の譲渡を了承してしまった。

本当に馬鹿な事をしたとずっと後悔してる。
男の俺がしっかりしておかなきゃいけなかったのに。


その後、俺と母は最低限の生活物資だけを持って家を追い出された。
元我が家の名義は父の物で、勿論叔母の物になってしまったため。
後日気の迷いで様子を見に行って「売家」の看板が出ている事にどうしようもない怒りがこみ上げたりもした。



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