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差別

362: 修羅場ステーション 2018/04/28(土)17:52:33 ID:SMw
今日地元が近い友達と一緒に帰省したんだけど
新幹線の自由席で、耳の聞こえないお父さんと耳が聞こえるお子さん(10歳前後の二人)が私達の隣の二人がけの席に乗ってきた
お父さんは通路に立ってる形
お子さん二人が結構大きい声で話してて、出してきたゲーム機も音量がかなり大きかった
3人とも外国人
私は携帯のメモを出し、そこに英語と日本語で新幹線の中なので声をおさえて、ゲーム機の音も小さくするか消したほうがいいと思います。と書いてお父さんに見せた
お父さんはすぐ子どもたちに注意をし、私には手話と口の動き&笑顔で「Thank you」と伝えてきた
だけどそれを見てた友達に「あんたってやっぱそういう人間だったんだ」と言われた
友達には私が障害者に優しくない、差別してるように見えるらしい
そして前に友達と映画館に行ったときのことも掘り返して怒られた
このときも耳の聞こえない女性と健常者の外国人のカップルが近くの席に座ってたんだけど
映画が始まっても女性が声と手話で男性に意思疎通をし、男性は手話と口パクで答えていた
私は男性に「日本の映画館だと声を出すとマナー違反になりますよ」といった趣旨のことを伝え
男性はすまなさそうな顔をして「sorry」と返して、すぐ女性にそれを伝えていた
女性も謝るポーズをして、それから二人は手話と口パクで会話をしていた
友達はそのことを引き合いに出し、あのときも障害者に優しくなかったと言われた

だけど、誰かが教えなくちゃ、一体どうやって耳の聞こえない人がそれを知ることができるの?と私は思う
友達にも話してないけど、私は幼い頃の熱で右耳の聴力が無いし、左の聴力も少し弱くて、医者から加齢とともに聴力が落ちてきて、将来耳が聞こえなくなるから手話を覚えるように言われてる
今は健常者と同じように過ごせるけど、小さい頃は耳が聞こえなくなったことで周りに配慮できなくて、声が大きくなったり、右側の気配に鈍感になって振り向いたときに人にぶつかったこともあった
母に何度も何度も声の大きさを注意され、声をセーブできるようになったし、右側に意識を向けられるようにもなった
聞こえなくなると、誰かに教えてもらわないと迷惑をかけてることすら気付けない
きっと耳が聞こえなくなったら、そうとは気づかずに多くの人に迷惑をかけるし、それを教えてもらわないと私は気づけないと思う
私は私がされても傷つかない方法で伝えたつもりだった
だけど他者から見たら、それは障害者に優しくなくて、差別に見えると言われて戸惑った
じゃあ、私は前回も今回もどう伝えたら正解なのか、わからない
そもそも、差別ってなんだろう



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293 : ハンディキャップ板より転載 2006/10/09(月) 13:02:47
漏れの昔働いてたとこの障害者(知的)も、同僚のおばはんにセクハラしまくり。
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150 : 1/2 2013/12/30(月) 01:57:26 ID:HylFG8Zl0
子供のころから、完全に妹との扱いの差があった。理由は「女の子だけほしかった」から 
確かに俺は小学校の頃から出来が悪かったし、妹は頭がよかったから、ある程度ならわかる。 
妹や両親はステーキくってんのに、俺だけ飯とカップラーメンだとか。3人だけで旅行にいって 
その間は俺は掃除とかも全部やって、飯も自腹。で、あいつ等が帰ってきたときに夕飯の用意してないと殴られる。とか、そういうレベル。 
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49 : 名無しさん@おーぷん 2015/02/10(火)22:45:01 ID:OpS
理解されないことだと分かってるけど書き込み
私は大学をレベルではなく教授できめた
私は社会心理学を学びたくて、それもかなり特定の分野に絞ってたので自然と選べる学校も少なくなった
けれど心から学びたいと思える教授がおらず、私は無難に心理学に強い大学を選んだ
大学二年生になったある日、
ふとしたことで、とあるFランと言われる偏差値45くらいの大学に、今年度、社会心理学を専門にする教授が海外から戻ってきていたことが解った
(私の学びたいことは海外が主流で最先端を走ってる。教授は勉強のために飛んでいた)
しかも蔵書の数もかなりのもので、私立だけあって学ぶ環境もかなり最先端
私は喜び勇んで飛びついた
3年でその大学に編入した
ゼミは本来定員12名で、その教授のゼミはもともと人気がたかく、取りたくても取れなかった生徒が多くいたそうだ
私は編入の際に出すゼミ選択の作文で、その教授のもとでどれほど学びたいかを熱烈に書き綴った
私の気持ちを汲んでくださった教授は私を寛大に迎え入れて下さった
私の大学生活は充実したものだった
やりたかった研究ができて、学びたかった教授に教われることが嬉しかった
私は自分の卒業した大学や自分の研究に誇りを持っている

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567 : 名無しさん@HOME 2007/03/20(火) 11:14:23
かなり長くなります、失礼します。
もう別れてだ数年以上たつ、元エネ夫の話。
とにかく、元エネ夫は自分の実家が一番だった。
正月・GW・春・夏・正月休みは全部義実家に連行された。
新婚当時はそんなものなのかと、思っていたが周りの話を
聞くと、そうではないらしい事を知り、旦那に私の実家にも
行こうと言うと、「お前は俺の家の人間になったんだから」と。
有無を言わさず、休みの日は義実家に連行された。
逆らえば叩かれるし、その後グチグチ言わるのがいやになり、
連行される事に素直にしたがってしまってた。

そして、例によって元エネ夫はママンスキー。
ウトよりも、ママンが言うことは、すべて正しいと思っていた。
すこぶる長男教のトメは、長男の元エネ夫が大好きだった。
そして、孫にあたる長男の息子も同様、しかし、娘はそうでは
なかった。というか、あからさまに差別してた。
嫁の自分と娘の食事の差、誕生日等の差、扱いの差が
年々に酷くなっていく、元エネ夫と元トメ。
息子にはマウンテンバイク、娘にはトメのお古の料理の本って
なんだそのクリスマスプレゼントは!!と言うこともあった。
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